「専門医はどこへやら」

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平成25年3月16日、姫路6時00分発の新幹線に乗って、日本循環器学会に行ってきました。新横浜駅でY先生といっしょになり、びっくり。なんせ、たつのの先生方は、みんな真面目?で、日々の診療に穴を空けることを嫌い(休診にしなくて良い近場で、単位を稼いでいるようです)開業して十年余り、今まで学会場でお会いしたことがなかったわけです。僕がどうして学会に行っているか?決して勉強しに行っているなんて立派なことは言いません。一番の目的は、専門医の更新のため、二番目が息抜き、三、四がなくて五番目が、若い人のパワーを感じて、刺激をもらいに行っているってところでしょうか?

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最近、学会に参加していて違和感を感じることは、みんな真面目すぎる?ということです。この学会でも10時前には、会場(パシフィコ横浜)に到着したにもかかわらず、既にお昼のランチョンセミナーはほとんど売り切れ状態(22講演のうち2つ3つしか空きがない)になっていました。夜のファイアサイドセミナーも大盛況です。翌日(日曜日)の朝8時30分からのセクションも時間通りに行くと立ち見席での参加を余儀なくされました。みなさんから見れば、医師は学会に勉強しに行くのだから、朝から晩遅くまでべったりと学会場で勉強しているのが当たり前に感じられるかもしれません。それが正しい姿というのもわかります。しかし、ペイペイが研修会に来ているわけではありません。

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僕の感覚では、ずっと学会場に缶詰?ではなく、学会の期間中(3日間)あるうちで、自分の発表はさておき、専門的に取り組んでいる分野、興味のあるシンポジウムや演題やなどは集中的に聞きに行ったらいいのですが、せっかく横浜まで来ているのだから、昼の空いた時間には、山下公園?ぐらいでランチをしたり、横浜美術館を覗いてみたり、港を散策したり、夜は中華街に繰り出すというのが普通ではないでしょうか。たまには、A先生のように行きの新幹線の中で作戦会議が開かれ、僕はここを聞きに行くから先生はここを聞いといてと頼まれて、後日レポートを書かされる強者もいれば、T先生のようにゴルフ道具を抱えて学会に行かれ、学会場で会ったこともない強者もいます。ディズニーランドのように学会場のあちらこちらに行例ができている光景は想像できませんでした。大学時代も、授業に出ている奴もいれば、テニスしている奴もいる、朝から雀荘に行く奴もいれば、花見に行っている奴もいるって感じで、全体として多様性があることが大切なことだと思っています。

何が言いたいか?つまり、ここに集まっている人はみんな勝ち組?同じ方向に向かってまだ受験勉強が続いているように、行列を作ってガツガツ勉強している。すごいエネルギーは感じるんですが、なんか余裕がないというか、息が詰まるというか。昔は、医局という大きな傘があって、少々お転婆だったとしても守ってくれているという安心感があり、医学という不確実性の多い現場で危なっかしい橋を何回か渡りながら一人前になっていく場が提供されていたように思います。しかし、今の時代は、大学を卒業して自分で行く病院を決めて、ひとりで勉強する?個人にリスクが背負わされている時代、昔も今も本当にできる奴はたいして変わらないと思いますが、普通の人は、当直はしない、救急は見ない、危ないことはしない=なにもできない医者、落ちこぼれる奴とふたつに分かれてしまわないかとお節介にも勝手に心配しているわけです。

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ひと昔前までは、博士号(学位)という資格をとるのが、一種のステイタスと考えられていて、これをもらうためにいろいろと我慢もするわけです。一方で、医学博士(学位)というのは足の裏にへばりついた米粒のようなものだと揶揄されていました。取らないと気になるが、取っても食えないというのがその心です。つまり、みんなが持っているので、とりあえず取っておかないとかっこ悪いので取ったものの、みんな持っているということは、学位をとったからといって、飯の種にはならないという意味です。医学博士というと、いかにもすごく偉い人のように聞こえますが、実は、工学や理学、農学系に比べると、簡単に取れるという事実は、一般の人にはあまり知られていません。

僕も4年間ほど、ぷー太郎して基礎研究をしましたが、重箱の隅をつついたような僕の学位論文が世の中の役に立つとはとうてい思いえませんが、分子医化学という基礎の教室でみんなに迷惑をかけたことで、得たこともありました。休日や昼夜を問わず本気で世界を相手に時間と競争しながら、勉強している若い研究生達、基礎科学を志した者は、かつての同級生達が高い?初給料をもらって遊んでいるのを尻目に、無給どころか授業料を払わなければなりません。(下手すれば、親のスネかじり?厳しい現実と基礎科学の不安な将来が理科系の優秀な人材が、育ちにくい原因)それでいてとても楽しそうに実験に取り組む真摯な姿、夢、道楽?こんな世界、仕事もあるんだなあと肌身で実感できたことが、学位論文に時間を注ぎ込んだ最も大きな収穫だと確信しております。

しかし、最近は学位よりも、臨床現場で実践に役立つ専門医という資格が重宝されるようになってきています。丁度、僕たちの世代はその過渡期でした。たとえば、循環器専門医を取るためには、まず、指定された病院で研修を積んだ上で、内科の全ての分野の症例や外科症例、剖検症例などのレポートを提出し、認定内科医試験に合格していなければなりません。認定内科医取得した上で、さらに循環器分野の研修を受けて、また症例をまとめて、循環器専門医の試験に合格していなければなりません。取得するのに、最低でも5年はかかる資格なのです。試験自体はそう難しくはありませんが、時間とかなりの労力を要しているということは確かです。

そもそも専門医ってなんでしょうか?町の看板を見ると「内科・外科・放射線科・皮膚科泌尿器科整形外科・リハビリテーション科」などのたくさんの標榜科目を掲げている診療所もあります。確かに医師免許を持っているので何でもできるんでしょうが・・・。また、専門医も広告も認められましたが、学会毎に認定や更新の基準が異なり、専門医の質もバラバラ、サブスペシャリティー領域でも循環器・消化器・呼吸器・血液・糖尿病など専門医が55個も乱立する時代になり、日本中が専門医だらけになりました。あなたの専門はなに?専門医制度は誰のためにあるのか?患者さんの受診に役立つものとしてわかりやすい制度にするために、新しい専門医制度が2017年度にもスタートすることになりました。専門医の質を担保するために、学会から独立した中立的な立場で、第三者機関が認定する制度を作り、更新するのにもっと厳しくなるようなって・・・。専門医ってそんなにまでして、かじりついて持っていなければならない資格なのでしょうか?

学位も専門医も持っているからすごいというそんな大それた資格ではありません。一部の本物のスーパードクターにとっては、そんなの関係ね〜♪。凡々とした家庭医にとっては、自己研鑽の一里塚として取得する過程に意味があるのです。本当の実力とはほど遠いことは承知の上で、結構、苦労してとった資格なので、放棄するのがもったいないというのが正直なところでしょうか?。専門医をやめたら、学会へ行くのが億劫になるのも目に見えています。休診にする口実が、ゴルフや旅行というのも寂しいものです。小さな自己実現の積み重ねが楽しい日常診療に繋がっていることは確かのようです。田舎で診療所を構えていると、新たに専門医へ挑戦することは、研修などが必須となっているため、時間的、空間的にちょっと無理のようです。今度は、東洋医学(漢方)の認定医やプライマリーケアの認定医あたりへトライしてみようと思っています。