高知龍馬マラソン

高知龍馬マラソン走ってきました。瀬古さん、金さんの豪華ゲスト。練習不足と20℃を超える暑さの中、脱水症状で身体のあちこちが攣って、ふらふらになりながらもなんとか完走?しました。

なんで高知?ってことですよね。実は、私の本籍地は高知県高知市なんです。だから少なからずゆかりある、故郷なんですね。子供の頃は瀬戸大橋もなく、宇高連絡船に乗って車で8時間かけての里帰りでした。昨年の1月に高知市で開催された学校心臓検診の学会に参加した時に、高知龍馬マラソンやりますよというポスターを目にして、高知で走るのもありかなと思った次第です。

毎年、マラソン大会の出走権は高い競争率の抽選だったりして、早く走る大会を確定するために、ふるさと納税枠で申し込んだりしていたのですが、コロナ禍でややマラソン熱も落ち着いたのか、今回の高知龍馬マラソンは通常の参加枠でスムースにエントリーすることができました。(8395名/12000名募集)

高知龍馬マラソンに向けて、練習を始めたのが9月頃だったでしょうか。いつもは4ヶ月前からスタートですが、今回はコロナ禍でマラソン大会が中止になり、4年ぶりのマラソン(前回は2020年の京都マラソン)なんで、少し早めの練習開始となりましたが、不安は的中、なかなか足ができないまま(筋肉がふにゃふにゃして、道路からの反発力の効率が悪い?って感じ、足が出来てくるとバネのように跳ね返ってくる感じ、わかりますかね?)結局は練習不足なんですが、1月に武庫川新春ロードレースとたつの市梅と潮の香マラソンとハーフを2本走りましたが、2時間切れずの状態で、今回のマラソン大会はタイムは全く望めず、参加することに意義があるってことになってしまいました。それでも全然いいんですけどね。

2月17日、姫路から新幹線で岡山に、土讃線(高知行き)岡山駅8番ホームへ行くと、黄色い「キラキラ」のアンパンマン列車が停車中(赤い「ニコニコ」アンパンマン列車との2種類があるようです)ブルートレインのような特急列車をイメージしていたのでびっくりしました。1号車はアンパンマンキャラクターのシートになっていて、(24席限定指定席)通路、天井、トイレなど、アンパンマンだらけ、子供は喜ぶよなって思います。ちなみに、アンパンマンシートを予約するためには、「e5489」で予約するか、みどりの窓口で「アンパンマンシートの予約をお願いします」と伝えましょう。また、アンパンマンの顔の形をしたお弁当やアンパンマンの水筒がついたお弁当(要予約)もあります。

土讃線、岡山発8時52分、南風3号、11時30分に高知駅に着きます。

 

なぜ、土讃線の特急南風が、アンパンマンなのか?アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんが高知県出身だからでした。(やなせたかし記念館が香美市にあります)

やなせたかしさんは、アンパンマンで有名ですが、僕には「手のひらを太陽に」という歌の方が印象に残っています。歌詞の中の「血潮」という生々しい歌詞になぜかドキッとしたというかすごく動揺したの憶えています。やなせさんは「生きているから悲しんだ」と綴っています。「生きているからつらいとか痛いとかいろんなことがあるわけで、それは生きている証なんです。そして喜びよりも悲しみの方が強いから悲しみを先にもってきました。ただ、悲しみの後には喜びがあります。絶望の隣には必ず希望があるのです」と言われています。この歌は、やなせさんの戦争体験から生まれた歌と聞いています。仏教の教えにも「四苦八苦」というのがあって、本来的に人生とは苦しいものと説いています。徳川家康も人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとしと言ってます。マラソンもちょっと似ているかも、しんどくて何かも止めようと思いますが、苦しいことが生きている証であり、その先に喜びがあります。だから絶望することなく、希望を持って生きてゆこうと。

アンパンマンは幼児に絶大な人気を誇るヒーローですが、やなせたかしさんによると「世界最弱のヒーロー」だそうです。

 

高知駅に到着後、ホテルに荷物を預けてから城西公園に参加賞引き換えに行きましたが、誰もいません。パンフレットを見返すと前日の参加賞引き換えは、高知市中央公園でした。いい天気で高知城も綺麗に見えていいウォーミングアップにはなりました。中央公園に行くとプロレスラーの武藤敬司さんのトークショーをやっていました。

高知で走るのはいいとして、当日に行くのは到底間に合わないので前日の高知入りとなるのですが、さて晩御飯はどうしようかなと考えた時に、そういえば高知に友達がいたなと、岡村君とは年賀状のやりとりはしているものの大学時代から全く会っていないので実に40年ぶりぐらいでしょうか。連絡先は?年賀状をくりくり探してみると20年ぐらい前の年賀状にたまたま電話番号が書いてあって、住所も変わっていないので思い切ってかけて見ると懐かしい声、声は変わっていないものですね。思わず、誰かわかる?って言ってしまいましたが、申し訳なかったです。彼とは2浪目の大阪のYMCA土佐堀校の時に大正区鶴町の寮で一緒だったのですが、阪大の工学部に行って都市工学を専攻して、高知県庁一筋に勤め上げて、昨年定年となったそうです。

午後6時30分から個室四季料理「くらり」で皿鉢料理のコースをいただきました。「皿鉢料理」の起源は藩政時代にまでさかのぼります。武家の供宴の終わりに36〜39cmの大皿に高知県の恵まれた自然が生む山の幸、海の幸が贅沢に盛り付けられた料理が提供され、社会的地位を示す象徴で、裕福な家庭では伊万里や九谷、有田焼などの高価な大皿を取り揃えていたようです。高知県は客を招いて宴会を催すことを「おきゃく」と呼び、明治以降になって「おきゃく」料理として「皿鉢料理」が高知全域に普及したようです。県庁の仕事は公務員なので当然人事異動があるわけで、工学部とは全く関係ない部署にも配属されるようで、頼まれたら断れない性格を良いことに、最後の2年は幡多福祉保健所の所長の上に単身赴任で行かされてコロナ禍の対応に悪戦苦闘したというお話は本当に身につまされました。私もたつの市の保健所も大変だったことはよく知っているので、他人事ではなく全くの畑違いの部署で本当にお疲れ様でしたと。

 

2月18日の朝、6時に起床、まず、シャワーを浴びて、水を500mlゆっくり飲みながら、前日の寝る前に、床にセッティングした順番にいつものルーティーンです。バンドエイドを乳首に貼って、膝にテーピングしてから足の親指の下、股、脇など靴擦れや股ずれしそうな場所にワセリンを塗ります。(順番を間違えたら大変です)タイツ、ウェアを着ていきます。おにぎりやおもち、カステラなど炭水化物を取りながら、さらにウォーターローディングしていきます。

トイレも大事などですが、ここでちょっと問題が発生しておりました。実は数日前からですが、プチ虚血性大腸炎の症状があり、間欠的な腹痛と便意はあるが、少しずつしか排便がない状況に陥っていました。ストレスなどで時々なるのはいつものことですが、マラソンのタイミングでなったのは今回が初めてでした。まあ、今回はタイム度外視で久しぶりのマラソンなのでとりあえず、走ってみてどうなるかということで、ランナーズチップを装着して、スタート会場に向かいました。

太平洋の雄大な景色を一望出来るコースが魅力の「高知龍馬マラソン」今回、記念の第10回の節目の大会となりました。コースは、県庁前をスタートし浦戸大橋や花海道を抜け春野陸上競技場がゴールの42.195キロの日本陸連公認コースで行われました。青空が広がり高知市の最高気温は20.2度まで上がり暑くなりました。 参加したランナーは沿道の声援を受けながら早春の土佐路を全力で駆け抜けました。

さあ、いよいよスタートです。瀬古利彦さん(オレンジ)マラソン界のレジェンドです。金哲彦さん(赤)私のマラソンの師匠というかマラソンのバイブル本「世界一の超楽マラソン練習法」の著者で、坂本龍馬に扮してペアリレーに参加されました。

滑り出しは、お腹の調子を見ながらキロ6分で刻みます。目標は4時間40分です。腹痛は間欠的に来ますが、そろりそろりとやり過ごせる感じで、なんとかリタイアは免れそう・・・。8km地点で初めてトイレに行きましたが、その後、28kmまで7回トイレに行くことになりました。今までのマラソンで、トイレに行ったのは、東京マラソンの時に2回ぐらいだけですかね。1回トイレに行くと3〜5分ほどのタイムロスになってしまいますね。しかし、今回のマラソンは、給水所は15ヶ所、トイレは28ヶ所も設置してあって(こんなにたくさんトイレがある大会も珍しい?いつもトイレに行かないので気がついていないだけ?)本当に助かりました。

20km、やっと浦戸大橋にやってきました。急な上り坂、サブフォーを目指すランナーにとっては、正念場、一番の難所ですが、5時間ランナーにとっては、温存、温存です。みんな歩いてますよね。ここで足を使ってしまうと残りまだ半分ありますから、後半に向けて一息、なるべく袋はぎを使わないようにすり足で足を進めます。浦戸湾入り口、左手山の向こうが、坂本龍馬像がある桂浜です。

 

浦戸大橋を渡ると、今回のマラソンコースの一番のview point、この景色を見逃したらいかんぜよ!。龍馬も眺めたであろう太平洋の大パノラマ。今日は、最高の天気で、本当に前半の疲労が吹き飛んだけれど、この暑さはマラソンにはちょっときついかな。

高知県では南海地震という大規模な地震が約100年〜150年の周期で発生しており、大きな被害を被ってきました。コース上の高知市、南国市、土佐市では、最大で震度7の強い揺れが想定されており、地震発生から早いところでは10分程度で津波が押し寄せるとされています。万が一大規模地震が起こった時には、大会スタッフの指示に従い、直ちに近くの安全な場所(こうだい、避難ビル等)に避難しましょう。

仁淀川(によどがわ)は、四国の愛媛県・高知県を流れる一級河川で、石鎚山などの源流から太平洋に注ぐ河口まで流路延長124km。吉野川・四万十川に次ぐ四国第三の河川で、最近でも国土交通省が全国164の1級河川を対象にした水質検査で3年連続を含む何回も全国1位に選ばれており、水面が青く美しい「仁淀ブルー」と呼ばれています。高知に来た時は一度見にきて下さい。

32.2km地点の給水所のエイドメニューは「かつおめし」です。かつお風味しょうゆ味のにぎり飯はエネルギー補給には、もってこいぜよ!

今までのマラソン大会では、自前で用意したパワージェルをウエストポーチにしのばせて、1分1秒を惜しんで走っているので、給水所では、水分を補給するだけでした。今回は、ちくきゅう(ちくわときゅうり)バナナ、柚子ジュース、なすゼリー、羊羹などと私設エイド(いちごやチェコレート)も含め、とても充実しているエイドメニューを楽しみにしながら走りました。

ハーフまではキロ6分台でキープできてましたが、花海道の22kmからはキロ7分台にペースダウン、35kmで足が攣りました。18日の高知市は最高気温20.2度を記録、4月中旬並みの暖かさの中、いろいろ忙しかったこともあり(言い訳ですけど)練習不足と体調不良が重なり、びっこを引きながら歩いたり走ったりしてましたが、そのうち、右脇や、背中、肩など体のあちこちが攣って、攣らない姿勢をとるのに四苦八苦。キロ9分から10分を費やしながら、満身創痍でなんとかゴールの春野陸上競技場にたどり着きました。エネルギー不足や脱水症状は対処次第ですが、筋力不足はレース中に補完できることはありませんね。タイムは、5時間46分25秒 今回はマラソン10回目(全て完走)一番遅いタイムではありましたが、高知で走れて、ほんと苦しかったけど、楽しかったです。ありがとうございます。

 

ちなみに、優勝争いは、手に汗握るドラマチックな白熱のレース展開となり、残りおよそ1キロでトップに立った青山学院大学2年の塩出翔太選手(今年の箱根駅伝8区区間賞を受賞)が、2時間19分20秒のタイムで初優勝しました。

 

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