EBM(Evidence Based Medicine)
EBMって聞いたことありますか?そのまま直訳すると「根拠に基づく医療」です。1990年代になってこのような当たり前だと思われている?ことがもてはやされるのでしょうか?患者さんに言わせれば「え〜 それじゃいままで根拠がない治療してたの」ってことですよね。医療は、雨乞い、祈祷のたぐいから始まり、東洋医学、蘭学と入ってきて、戦後しばらくまではその延長の医療が行われていました。ただ、傷を癒す、肺炎を治すなどは、先人が積み重ねてきた経験に基づいて、先生から弟子に受け継がれてきた流れでなんとかやってこれたわけです。しかし、平均寿命が延びて、疾患の対象が生活習慣病の治療をするとなると、患者さんは血圧を下げること、血糖値を下げること自体が目標のように考えがちですが、実はその先にある心筋梗塞、脳梗塞を本当に予防できるのか、死亡率が下がるのかということが問題であり、ただ目先の血圧を下げたり、血糖値を下げるだけで、心筋梗塞、脳梗塞の発生率が下がらないと仕方がないですよね。(高血圧や糖尿病があると心筋梗塞、脳梗塞が起こりやすいということは疫学から証明されていますが、高血圧や糖尿病を治療したら心筋梗塞、脳梗塞が減るというのは別問題なんです)
たとえば、地球温暖化で国際会議を開いてCO2削減などが議論されていますが、一方でそんなの必要ないと言っている学者もたくさんいます。なにが正しいかは歴史が決める?100年後200年後さらに1000年後のことなんで誰もわからないというか、今生きている人は、誰も生きていない、みんな死んでいます。つまり言ったもん勝ちの世界で、声が大きい方が通るものですね。医学的な知見でも30年前(僕が学生の頃)に正しいと思われて教科書に載っていることの多くは既に書き換えらてしまっているわけです。つまり、結果(心筋梗塞、脳梗塞など)がだいぶん先(10年後)にあるようなものについては、誰もわからないわけで、目の前の患者さんにとっても最善の治療とは何か?それを調べるためにいろいろな臨床研究論文が発表されているわけです。
目の前の患者から生じる疑問や問題をについて、患者さんのためにどのように解決していくべきでしょうか。とりあえずは、手っ取り早く教科書(今日の治療指針など)を見る、ググる(Googleで検索すること)などでその場を凌ぎますが、なかなか良い答えが得られないこともあります。そういった場合には、患者さんの問題解決につながる臨床研究論文を探すわけです。EBMとは、EBMが何かという問いは意味がありません。今、パソコンでこのホームページを書いていますが、パソコンとは、パソコンが何かという問いについては、パソコンを作っている人、ソフトのプログラマーなどの専門家が答える話で、僕らはパソコンが使えれば言い訳です。EBMも同じ道具であり、行動指針であるわけです。使いこなすためには、実践あるのみです。
どうやって探すか?まずは、患者さんの問題を明確にするために、疑問(問題)の定式化を行いましょう。その方法としてPECOと呼ばれるものを用います。
P:Patient | どんな患者が |
E:Exposure | ある治療/検査をするのは |
C:Comparison | 別の治療/検査と比べて |
O:Outcome | どうなるか |
文献検索の方法は、いろいろあります。これを言い出すときりがありませんので省きます。みなさんインターネットで参照してみて下さい。沢山のサイトがあります。最もシンプルで分かりやすいのは、PubMedのClinical Querriesです。論文検索すると、論文が山のように出てきます。沢山ありすぎてどれを読んだらいいのかわからないってことになりがちです。どうやって絞り込むか。ます、大雑把にreview、メタ解析などから入るのもいいですが、一番多い治療をどうするかという場合は、ランダム化比較試験かどうかが大事です。診断や頻度を調べたいなら横断研究です。病因や予後はコホート研究や症例対照研究などが信頼性の高い研究デザインになります。また、Outcomeの設定が重要です。患者さんにとって真のOutcomeはなにか、本当に知りたいのは、合併症、QOL、死亡率などで絞り込むとかなりいい感じになります。
論文の批判的吟味はさらに重要です。僕がプー太郎して基礎研究をしていた頃は、結果をなんとかいい雑誌に載せるためには、学位論文は英語で書かなければなりませんでした。毎週、抄読会があって、英語論文を読んでいましたが、LancetやNew England Journal of Medicineなどの雑誌は、雲の上の存在で、今回、ノバルティスの臨床データの改ざんでも報道されたJikei Heart Studyなどのような論文もなんのNeuesもなく、ランダム化もされていない時点で、本来なら不採用のはずです。なにか裏があるのでしょうが、こんなレベルの論文が載るようでは、Lancetも落ちたものだなあと思ってしまいます。そういった意味でも、投稿された雑紙のレベルありますが、臨床研究論文の結論で有効(統計学的有意差がある)とされていても、その情報が本当に正しいか、信ずるに足るものか、この治療法は本当に有効なのか、どれくらいの有効かなど、その結果を鵜呑みにすること危険なのです。
大規模臨床試験と言われるとなにか立派な研究で効果も大規模だと思っていませんか?実は全く反対で、大規模臨床試験というのは、症例数を増やして大規模にしなければ治療効果が証明できないほどわずかな効果しかないということで、つまりわずかな効果しかない治療法でもより患者をたくさん集めれば有意差が出るかもしれないということです。ですから、研究結果に統計学的有意差があった場合は、さらにどれくらいの治療効果の大きさがあったのかを把握することが大切です。治療効果の大きさによっては,実際の診療現場では、その治療を選択するだけの価値がないということもあるかもしれません。逆に言えば、症例数が少ない研究で有意差が出たものほど効果は大きいというわけです。例えば、麻疹の予防接種の効果は、予防接種をした10名と予防接種をしていない10名を麻疹の流行っているところに暴露するとテキメンです。感染力の強い麻疹は、予防接種をしていない10人は発症するでしょうが、予防接種をして免疫のついている10名は平気です。2週間もみていれば、誰の目にも明らかで、臨床試験をして証明する様な大げさなものではありません。ペニシリンという抗生剤が発見されて、肺炎の患者さんを20名ずつ集めても、梅毒の患者さんを20名集めても抗生剤を使って治療するのとなにもしないのとでは、数ヶ月後には結果は、言うまでもないわけです。
最後にこの情報を目の前の患者にどのように適応していくかです。EBMというとエビデンスという言葉が一人歩きしていますが、実際の臨床の現場では「患者さんの背景や意向」「医療者の技量」「エビデンス(科学的根拠)」という3つの要素があります。エビデンスもその一要素に過ぎません。論文の科学的根拠があるといっても患者集団と目の前の患者の背景が完全に一致しているわけでもありませんし、5000〜10000人を5〜8年間追いかけてやっとわずかな差が出る程度、それも100人〜200人に薬を処方してやっと1人救えるかどうってお話です。それは、治療の方向性の根拠を示す医療者側の免罪符のようなものであって、エビデンスがあるからといって、必ずその患者に使わなくてはいけないというものではありません。つまり、治療法や検査方法が有効であるというエビデンスを踏まえながらも、医療者自身の臨床技術や経験と患者さんの背景、嗜好や思いをどう組み合わせていくかということがまさに家庭医のおもしろいところであります。(特に患者の考えや思いがどういうものなのかということが最も重要です)
日常診療で、患者さんを目の前にして出てくる問題、疑問。調べれば調べるほど、わからないことだらけです。まさに、知らざるを知らずとす。これ知れるなりです。患者さんにとって、なにが幸せか?エビデンスは一つでも、患者さんへの処方箋は、患者さんの数だけあるようです。格好良すぎ?でした。ちゃんちゃん。
NBM(Narrative Based Medicine)
人間はそれぞれ、自分の「物語り」を生きており「病気」もまた、その物語りの一部である。1990年以降、EBM(Evidence Based Medicine)という医療のあり方が提唱され、現代の医療を実践する現場において重要視されています。一方で、過剰に強調された「根拠」「統計」「科学性」に対し、それを補うものとして、1998年、物語に基づく医療-ナラティブ・ベイスド・メディスン NBM(Narrative Based Medicine)が提唱されました。NBMとは、治療を受ける側が自ら語り出す物語を重視し、対話を臨床現場に生かそうとする方法論であり、患者さんの思いを真摯に受け止め、対話を通して、さまざまな問題の解決に向けた「新たな物語」を患者さんといっしょに創り出すプロセスです。NBMは、医療の本来のあり方を再認識し、個々の患者自身の信念や価値観、社会的背景などの尊重を前提に、EBMとともに最良の医療を提供することを目的としています。