第7回日本禁煙科学会inいわて

禁煙プロジェクト2011〜 たつの市揖保郡医師会における禁煙へ取組〜
と復興応援ツアーです。

最近、立場上ですが、否応なしに患者さん(市民)に講演をする機会は増えましたが、 学会発表は20年?ぶりです。 ひょんなことから座長まで経験させて頂きました。(小さな学会ですが、全国学会です。やはり役不足は否めず、もうこりごりですが・・・) 会場が盛岡だったので、土曜日の朝一番の飛行機(仙台行)を予約しておりましたが、プログラムが送られてくると発表の時間に間に合わないため、急遽、金曜日の診療が終わってから、東京まで行くはめになりました。

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翌朝、東京発6時56分のはやてに乗りました。(東北新幹は初めてです)「こまち」は名前からも秋田と予想できましたが、はやて、はやぶさ、やまびこなどの列車の名前は、違いがよくわかりませんでした。おそらく、山陽新幹線のひかり、こだま、のぞみなどに相当するんでしょうね。

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9時24分、盛岡着。
会場は、いわて県民情報交流センター(アイーナ)です。遠景に雪の積もった岩手山が見えます。

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禁煙プロジェクト2011 〜たつの市揖保郡医師会における禁煙へ取組〜
無事、発表してきました。
講演を聞いていると「がんだいでは・・・」「がんだいでは・・・」という言葉が頻回に出てきます。最初は、東北訛りかなあと思っていましたが、実は、岩大(がんだい)つまり、岩手大学のことを地元では、がんだいと言うようです。

夕食は、番屋 なかがわ(持田製薬 推薦)に行きました。浜焼き(海の幸)、きのこ鍋、さんまの水餃子などおいしかったです。

翌日は、午前8時21分発 はやて・こまちで仙台へ。
まず、はやてが登場です。

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しばらくして、こまちがホームに入ってきました。

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そして、ドッキングです。

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僕も17年前、西宮で阪神大震災を被災しました。当時、西宮渡辺病院に手伝いに来ていました。住んでいたマンションは、 エレベーターは落ちて、1階の駐車場がつぶれて、L字型のマンションで、曲がったところで割れていました。 8階に住んでいたので、 かなりの衝撃できたが、幸運にも命拾いしました。病院には、次から次へと遺体が担ぎ込まれ、3日3晩はほとんど寝れませんでした。2週間ほどして、一段落、西宮北口まで線路沿いに歩いて、大阪まで風呂に入りに行きました。大阪では、なにごともなかったように、人があふれ、通常の時間が流れているのを不思議の思ったのを憶えています。

東日本大震災では、兵庫県の災害医療チームは、宮城県石巻の担当になりました。参加を希望しましたが、兵庫県は応募者(阪神大震災の恩返し)が多く、残念ながら抽選にはずれてしまいました。

東日本大震災のニュースで、何回も津波の映像が流れていますが、本当のところは、実際にその場に立って、自分の目で見ないとなかなか実感できないのでは思っていました。しかし、そのためだけに、わざわざ被災地に旅行に行くもの何となく気が引けていたので、今回、日本禁煙科学会が盛岡で開催されたのは、僕にとっては、うってつけのタイミングでした。

復興応援ツアーでは、まずは、大川小学校へ行きました。小学生74名、教師10名、中学生 3名が亡くなっています。(こういった場所に多くの人が訪れることに賛否両論あるようです)慰霊碑の前で合掌。

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小学校は、 北上川の堤防のすぐ横にありました。河口から5kmあり、津波は来ないと考えられていたようですが、地震発生から50分後に津波にのまれました。子どもをなくされた親の心境を考えると、いたたまれません。また、2万人あまりの被害の中で、両親を無くした震災孤児が240人、片親を失った子どもは、1000人を超える様です。三陸地方では「てんでんこ」〜勝手に逃げろ〜が津波から身を守るための教訓として伝承されています。

石巻市雄勝町は、学校、病院、商店の大半を失い、 建物がほとんどありません。 雄勝硯(東京駅の屋根に使用されている)で造られた三角屋根(雄勝硯伝統産業会館)が象徴的。 市立雄勝病院では、患者40人全員、医師看護師24人全員が亡くなっています。

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仮設商店街が営業していました。昼食に伝八寿司でホタテ丼を食べました。

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女川町(おながわ)は、東日本大震災で 最も高い死亡率(56%)となりました。 女川原発を有し (電気代が無料)このあたりでは唯一、石巻市に合併しなかった地域です。女川町立病院は、16mの高台に建っています。

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女川町立病院の駐車場から中心部の方向を見下ろしています。この高さを超えて20mの津波が押し寄せたのです。実際にこの場に立って海岸線を見て、その水の量を想像するとちょっと信じられない感じです。この高さ以上に建っている家はなにもなかったように残っています。

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病院の正面玄関の柱に床より1.95mの所に津波の到達高とあります。

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石巻市(いしのまき)は、人口も多く、津波が直撃し、 5000人以上の死者、行方不明者を数え、東日本大震災で最も被害が大きかったところです。 標高60mの日和見山から市街と見ると、街がひとつ消滅しています。

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この山の麓にある 門脇小学校の校庭で 長渕剛が「ひとつ」を歌いました。

(2011年の紅白歌合戦)

旧北上川の中瀬に見えるUFO型の白い建物が、石ノ森萬画館です。

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昨日の新聞(平成24年11月17日)に、1年8ヶ月ぶりに営業を再開、記念式典には仮面ライダーなどのヒーローが登場したとのニュースが載っていました。

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仙台市蒲生地区など、家自体は流されなかった地域でも、ドアや窓がなく、木や草が張り付いて、人気のない荒れ果てたゴーストタウンのようになっていました。

仙台市若林区荒浜地区は、平野部として10mの津波に飲み込まれ、壊滅的な被害を受けた地区です。

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名取市閖上(ゆりあげ)地区は、仙台空港のすぐ隣です。近くに高台がなく、甚大な被害が出た地区です。 たくさんの人が住んでいたようですが、なにもない更地(基礎だけ残っている)になっています。

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どこの地区でも、いたる所あちこちに瓦礫の山が残っていて、水が引かず湿原のようになっているところもあります。なにもなくなった更地にぽつんと廃墟になった学校があって、とても寂しく見えました。復興はまだまだ始まってもいません。

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平成24年10月6日、あかとんぼ文化ホールで市民公開講座「大災害時の危機管理と対応」を開催しました。

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講演が3演題あり、4時間の長丁場、完全に企画倒れになると思っていましたが、意外と寝ないで聞いて頂けました。その中で、岩手県医師会の副会長、岩動孝先生の講演では、避難所における医療についてのお話しがありました。今でも、医師会の先生方が、自院の午後の診療をやめて、当番で被災地に手弁当で出かけて行かれて、三陸沿岸部の医療を支えられているのです。確かに震災直後は、DMAT(72時間の壁を念頭に活動する災害派遣医療チーム)JMAT(DMATを引き継いで、避難所、救護所における医療を担当)による医療支援が行われ、そのスピード感は大変重要です。その活動は、震災当時、ニュースでも何回も報道されていました。しかし、それにも劣らず大事なことは、撤収後(震災後1年半が経過して)も被災地には、仮設で生活する住民がいて、 地道ではありますが、医療の継続を維持できるかどうかが問題なのです。(あまり報道されませんが・・・)

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開業した当初、医師会の存在意義ってなんだろうと考えたことがありました。開業医の利益を守る圧力団体としては、必要なんでしょうけれど、僕ら下々には縁遠いお話です。訴訟問題になった時のいろいろアドバイス頂けること、せいぜい揖龍急病センターの運営ぐらいしか頭に浮かびませんでした。

大学の医局制度が機能しなくなって、救急医療や地域医療が崩壊していることはよくニュースになっていますが、東日本大震災の非常事態に、大学や行政は、全く役に立たず、誰かがやらなければならない。医師としての使命感、責任感なんてかっこいいことは言いません。 仕方なくでもいいんです。 岩手県医師会頑張れ!もし医師会がなかったら、被災地の医療は立ちゆかないことは火を見るよりも明らかです。医師会って役にたってるジャン!医師会ってあってもいいジャン。初めて自信をもって言えました。


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11月のニュース

2012/11/03 兵庫県公衆衛生協会中央研究会兼総会
2012/11/08 介護教室「突然死をふせぐために」
2012/11/10 日本プライマリーケア学会(大阪)参加
大阪医大37期会
2012/11/10 広島がJ1初制覇

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12月のニュース

2012/12/02 中央自動車道の笹子トンネルで崩落事故
2012/12/03 流行語大賞に「ワイルドだろお」
2012/12/12 北朝鮮、長距離弾道ミサイル発射
2012/12/14 米小学校で銃乱射、26人死亡
2012/12/16 衆院選で自民党圧勝
2012/12/27 松井秀喜が現役引退

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