Top / ブログ / 2015-05-03

ようこそジオパークへ

画像の説明
あいあい岬の手前で、15分間のゲリラ豪雨

伊豆半島(南から来た火山の贈りもの)に行って来ました。


画像の説明

諸君、狂いたまえ〜」現在放映中のNHKの「花燃ゆ」吉田松陰の台詞です。野村監督の名言集の中に、人生成功したと言われる人を評して、三流は金を残し、二流は仕事を残し、一流は人を残すとあります。吉田松陰は、まさに一流の中の一流、日本の長い歴史の中で、日本消滅の最大の危機の時代にこれだけたくさんの有能な弟子達を世に送り出した希有な存在です。嘉永6年(1853年)黒船が来航し、 日本に開国を迫ります。日本国中が右往左往する中、下田でポーハタン号に漕ぎ着け、アメリカへの渡航を企てる輩がいるとは、まさにクレージー、このはちゃめちゃな行動力、知識欲にはペリーも驚愕します。天才の頭の中は凡人には考えらない発想があります。アインシュタイン曰く「私には特別の才能はない。熱狂的な好奇心があるだけ」スティーブ・ジョブズ曰く「ハングリーであれ、愚かであれ」吉田松蔭は、若干29歳、安政の大獄の最後の処刑者となります。

熱海というと一世代前なら新婚旅行で有名?でしたが、僕も全国結構行ってますが、熱海駅に降りるのは初めてです。駅前に足湯があるのも一興ですね。

画像の説明

レンタカー(マークX)を借りて、温泉街から海岸沿いに城ヶ崎へ行く予定でしたが、結構な渋滞だったため、伊豆スカイラインへ。富士山の頭だけが見えています。

画像の説明

伊豆半島の真ん中を南下、終点の天城高原から伊東市へ。正面にジオパークの大室山が見えてきます。

画像の説明

遠くから見ると芝生に覆われた(実は茅なんですが)お椀をふせたような丸いきれいな丘のようにみえます。空からの見れば、山頂にすり鉢状の噴火口があるのがわかります。ジオパークとは、こういった自然にできた不思議な山(川・地層・岩石・地形・火山・断層など)が、どうやってできたのか?ジオ(地球)の成り立ちに気付く場所「公園」のことです。
大室山は、約4000年前の噴火によって、粘り気の弱い溶岩のしぶき(スコリア)が降りつもってできた伊豆東部火山群のなかで最大のスコリア丘で、2010年に、単成火山の典型例として、国の天然記念物に指定されました。

大室山のふもとから流れ出た大量の溶岩で、伊豆高原や城ヶ崎海岸などがつくられました。城ヶ崎海岸の断崖絶壁は、サスペンスドラマのワンシーンに出てきます。

画像の説明


西伊豆、土肥温泉に宿泊。翌日、国道136号線を南下、西伊豆病院は、プライマリーケア学会では、ちょっと有名な病院です。

画像の説明

日本の医療も医局制度が崩壊し、たつの市などの田舎の病院では、高いお金を積んで、一本釣りをしてもトラブルメーカーになるだけで、長くは続かない現状を見ていると、医師確保が困難な時代になって病院は本当に大変だなあと思います。西伊豆町は、実際に現地に行ってみれば、たつの市よりもさらにもっともっと条件が悪いであろうことは、一目瞭然のびっくりするぐらい田舎ですが、たくさんの研修医が集まってきます。

仲田先生のような能ある鷹は爪を隠すであろう優秀な医師は、一昔前ならへんな人(親父ギャグが半端でない)として医局から左遷(教授戦という政治は嫌い?)もしくは医局制度のなかでは合い入れずに海外へ流出する(ノーベル賞の中村先生のような)人材なんでしょうが、どんな田舎でもネットで情報を集められ、発信もできる現代社会においては、医局制度が潰れたが故に、全国でたくさんのプチ西伊豆病院が芽生えていくことが、今後の地域医療を支えるヒントになるんではないかと思います。研修医という将来性のある(もしかしたら残ってくれるかも)安い労働力を手に入れることができ、若い研修医が来ると病院も活気づきますよね。♡

西伊豆病院の院長、仲田和正先生の医師採用のメッセージです。(西伊豆病院を宣伝する必要はないんですが・・・)


伊豆半島の南端、石廊崎(いろうざき)です。

画像の説明


伊豆半島の成り立ち(南から来た火山の贈りもの)

画像の説明

伊豆半島は、本州で唯一、フィリピン海プレートの上にのっています。約2000万年前までは、伊豆半島は本州から数百km南、現在の硫黄島付近の緯度にあった海底火山群でしたが、プレートの北上に伴い火山活動を繰り返しながら約60万年前に本州に衝突して伊豆半島は誕生しました。現在も火山活動や地殻変動が続いており、伊豆の大地を本州に押し込み続けていて、さらにどんどん南に延びるかもしれません?だから伊豆半島では、さまざまな時代の大地の営みを楽しむことができ、多くの美しい景観や温泉を形成しています。

画像の説明

                    〜伊豆半島ジオパークHPより〜

画像の説明

下田港は、金目鯛の水揚げが日本一の港です。目が金色に輝き、魚体の色が赤いことから「キンメダイ」通称「きんめ」「鯛」とついていますが鯛の仲間ではありません。水深500m前後に住む深海魚です。金目鯛の名の由来となった金色に光る大きな目は、レンズと反射板の機能をもち、暗い深海の中でわずかな光を効率的に捉えるために発達した独特のものだそうです。水揚げが最も多い伊豆半島などで地産地消の一環でブランド化されています。旬は冬ですが、四季を通じてよく脂が乗っているため、煮物にすると特に美味なので有名ですが、身は軟らかく小骨も少なく、刺身やなべ物、なんでもおいしい魚です。下田のペリー通りの幸寿司で金目鯛を煮付けにする前に写真を撮らせて頂きました。大きくなると50cmぐらいになるそうです。

〜追伸〜

翌日5月5日は、揖龍急病センターの当直でしたが「明治日本の産業革命遺産」を構成する各地の施設が、世界文化遺産への登録勧告されたことで、伊豆の国市の韮山反射炉は、県内外からの観光客でごったがえしようで、1日遅ければ、悠長にドライブを楽しむこともままならなかったかもしれません。ペリーは、吉田松陰が起こした行動について、日本人の特質を感じとり、この国の将来には、夢と希望に満ちていると書いています。また、米国総領事のハリスは、昼食の接待に「ご馳走も立派で、見た目もきれいだ」と絶賛、日本人は、喜望峰以東で最も優秀な民族だと書いています。

画像の説明

反射炉とは、銑鉄(せんてつ:不純物を多く含んだ鉄)を溶かして優良な鉄を生産するための炉です。銑鉄を溶かすためには千数百度の高温が必要ですが、反射炉の場合、溶解室の天井部分が浅いドーム形となっており、そこに炎や熱を反射させ、銑鉄に集中させることでその高温を実現する構造となっていることから、反射炉と呼ばれています。ヨーロッパで反射炉が発展した背景には、ナポレオンの存在がありました。19世紀初め、ナポレオンは、砲兵を重視し、ヨーロッパの陸戦の常識を一変させます。それまでの青銅砲は高価なもので、より安価に大量の大砲を製造するために、鉄を原料に用いた大砲作りが求められ、鉄の高い融点の問題を解決するために開発されたのが、反射炉だったわけです。日本人が優秀なのは、この反射炉を外国の技術者に作ってもらうのではなく、蘭書の記述のみを頼りに、日本古来の窯の技術なども駆使し、自分たちだけで作り上げたことです。韮山反射炉は、幕府のmade in japanですが、萩の反射炉はmade in 長州、単独の藩で作ったというのもすごいですよね。その後、韓国がいちゃもんを付けてきて、ドイツで行われたユネスコ世界遺産委員会では一悶着ありましたが、7月8日正式登録されました。




テニス合宿 平成27年7月19日〜20日 

今年も岡山県の備前高原、佐伯ファミリーパークに行って来ました。台風11号も過ぎ去り、2日間みっちりテニス三昧でしたが、風があって少し救われました。錦織圭選手の活躍に感化されて一念発起、昨年10月から、ノアインドアテニスブルーマウント校、中級クラスに入って、週に1回テニスを再開しています。右肩の腱板部分断裂でテニスを全く止めていましたが、約10年間、肩を使わないで休めていたことで、痛いながらもなんとか仕事の支障もきたさず、やり過ごせるまで回復しているようです。今年の合宿は、久しぶりにストレスなく、テニスを楽しめました。いつも写真を送って頂いている安藤さん(大鵬薬品 岡山出張所)の息子さん夫婦が長崎からはるばる参加されていましたが、奥さんは長崎県のトップクラスの実力者で、とても綺麗な両手バックハンドを披露してくれました。今までは両手バックは、なんとなく敬遠していたんですが、ちょっと挑戦してみようかなと思っています。

画像の説明



コメント