Top / ブログ / 2013-10-19

秋の研修旅行とテニス部同窓会

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加賀屋に泊まってきました。
みんな変わっていません。元気でした。



たつの市揖保郡医師会の研修旅行(10月19日、20日)

姫路発13時46分 のぞみ130号で大阪へ。14時46分大阪発 サンダーバード25号で金沢へ。金沢からバスで1時間ちょっと、団体さん30名で、和倉温泉(石川県)に行ってきました。

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和倉温泉の歴史は、時代を遡ることおよそ1200年“湯の湧き出づる浦”から(湧浦→和倉)始まります。「加賀屋」1906年(明治39年)に、加賀国の出身である小田與吉郎が創業。加賀屋は「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で1977年(昭和52年)以降33年連続、総合1位を連続受賞中という老舗であります。(異論はあるのでしょうが・・・)

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能登渚亭、田渕先生と同室でしたが、さすがは加賀屋さん、部屋がふたつもありました。宴会の後は、カラオケ大会。野村先生のお孫さんが大活躍。

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加賀といえば、1583年柴田勝家と羽柴秀吉が賤ヶ岳の戦いで、先鋒として活躍した前田利家。利家の子、利長は関ヶ原の戦いで東軍に組し、加賀、能登、越中の三国を領する加賀百万石が成立します。現在の金沢市の人口は45万人、九谷焼や加賀友禅なども有名ですが、金沢には、日本三大○○というのが、沢山ありました。霊峰白山は、富士山、立山と並び、日本三名山(三霊山)のひとつです。

加賀屋の夕食にでてきた「くちこ」は、「このわた」「からすみ」と並び、日本の三大珍味と言われています。糸ほどしかないナマコの卵巣を何本も何本も重ね陰干しにして作られるのが干くちこ。真冬の能登、七尾湾でごくわずかしか生産されず、まろやかで深みのある香ばしい独特の風味はまさに筆舌しがたい天恵希有の趣です。

日本三大菓子処と呼ばれるところは、 京都・金沢・松江です。室町時代に始まったと伝えられる茶の湯は、戦国武士の嗜みとされるようになりました。加賀藩でも裏千家が普及し、現在でも茶道が盛んで、数多くの茶会が開催されています。城下町のもと、 お茶文化の発展とともに和菓子の文化も次第に庶民へと広まり、伝統的な職人の卓越した技による四季を彩る色や形など、見た目にも楽しませてくれる和菓子が代表的な一つとなっています。

いろいろ好みはあるでしょうが、お勧めの和菓子です。

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柴舟 山野草(山)

兼六園は、後楽園(岡山市)偕楽園(水戸市)と並んで、日本三名園のひとつに数えらています。17世紀中期に加賀藩により造営された池泉回遊式庭園、金沢市の中心部に3万坪の敷地を有し、百間堀通りの石川門から金沢城へ続いています。園内の噴水は、日本に現存する最も古い噴水で、動力を用いず、丘の上の霞が池からの高低差を利用しています。(水の吹き上がる高さは、ちょうど霞が池の水面の高さに相当)

2日目は、朝から雨でした。能登カントリークラブは、林間コース。今日は、ティーショットが曲がって、助かったとしてもごめんなさいの繰り返しで、カッパを着たり、脱いだり、スコアも52(宝達コース)48(日本海コース)=100と散々でした。昨年の医師会旅行も雨でした。僕って雨男でしょうか?日本海コース 4番 131ヤード、池越えのショートホール、9番アイアンでティーショット、雨でグローブが滑ってクラブは20ヤード前方の池へ。ボールはナイスオンという珍プレーをなりました。池の中にグリップが僅か見えて突き刺さっていましたが、岸からかなりの距離があり、回収不可能なため、後日郵送して頂くことになりました。

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左から私、味木先生、江尻先生、堀田先生

井上靖の自叙伝3部作

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本と言えば江戸川乱歩やシャーロックホームズなどの推理ものばかりで、読書感想文などは、あとがきだけ読んで、書いていた手合いでしたが、大学時代には、数百冊の本を読みました。本の虫という人がいるもので、同じ下宿を間借りしていた友人もそのひとりで、本屋で10冊ほど本を買ってきては数日で読んでしまう強者でした。彼から勧められる本のなかに、井上靖自身が幼少から青年になるまでの自叙伝小説『しろばんば』『夏草冬涛』『北の海』の3部作があります。『北の海』は中学卒業後の浪人生活の日々を描いたもので、ひょんなことから四高の柔道部夏合宿に参加することになり、勉学を放棄し、宿敵の第六高等学校(現在の岡山大学)を破って高専柔道大会で優勝するためだけにひたすら寝技の練習に打ち込む部員たちの姿に憧れて、いつしか四高で柔道をやるのだと決意します。(四校とは、旧制高等学校の中で、特別にナンバースクールと呼ばれた八校のうち、明治20年に開校した東京、仙台、京都、金沢、熊本の五校のうちの四番目)彼は、名前が同じだった主人公に自分を重ねて、金沢大学医学部に三回トライして、夢破れて大阪医大に来ました。僕の場合は、回り込みに特化した大阪医大のテニスをしていた自分を重ねて、奇しくも同じ打倒、岡山大学であり、モチベーションが跳ね上がったのを覚えています。ナルシスト?ですよね。ちなみに、僕が山へ行くようになったのも、井上靖の「氷壁」を読んで、上高地という名前に憧れて、北穂高の北壁に行ってみたいと思ったのがきっかけです。北アルプスに登った帰りに金沢に回って、兼六園のベンチで寝てしまったこともありました。金沢城内の金沢大学を見に行ってちょっと感動しました。(現在は、学校や県庁は、城外に移転し、かっての櫓や御殿などの城郭建物が復元されているようです)その人の人生が、いろいろな意味で本に影響されることもありますね。


テニス部同窓会

11月16日〜17日、大阪でプライマリーケア学会に参加してきました。16日夜、北新地の味吉野で、テニス部の同窓会を開かれました。僕らの学年が幹部だった時の同窓会で16名集まりました。(今回は幹事の寺田先生にすべてお任せでした。ご苦労様でした)藤野や竹林などは(呼び捨てで申し訳ない)卒業以来26年ぶりの再会ですが、全く変わっていません!昔話に花が咲き、二次会、三次会と久しぶりに午前様になりました。この同窓会も、開業を契機に(他のみんなは勤務医)僕が声かけして平成13年に卒後初めて行い、平成18年に2回目、今回は7年ぶりとなりました。みんな忙しくて、同窓会も誰か言い出しっぺがいないと出来ませんし、またこういったきっかけがないとなかなか会うこともありません。次回は、3年?5年後、みんな元気で再会できればということで散会になりました。

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大阪医大テニス部(硬式)は、僕の人生に少なからず影響を与えています。今は右肩の鍵盤断裂でテニスが出来なくなって、最近、将来の健康の維持のためという名目でゴルフを始めましたが、スポーツを楽しむことは、僕にとっては精神的なバランスを保つ上で欠かせない要素であり、中学時代のテニス部(軟式)駅伝に始まり、爽快感、達成感、体力の向上やストレスの発散など、こればかりは、丈夫な体に産んでくれた両親に感謝、感謝です。

一昨年、大阪医科大学硬式テニス部創部50周年記念祝賀会があり、「五十年の歩み」に寄稿しました。

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僕らの時代

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1年の熱い夏は熊本から始まった。『あっ、大阪医大や』試合ではギャラリー(偵察隊?)も多く、けっこう有名やんけとうれしく思ったのを憶えている。僕らの学年は初心者ばかりで、『大阪医大のテニスをしろ』と耳にたこができるほど言われた。最後までしぶとく残ったのは素振りはうまかった小田幸作(本学整形)女子の応援がないと力が出ない杉和憲(本学二内)はにかみやで完壁主義者の山崎久(本学整形)と僕の4人だった。僕らの時代にもいろいろなテニスがあった。河本先生、とにかく打って打って打ちまくる、破壊力抜群の強いテニスでした。あの自信はどこからくるのでしょう。綿谷先生、試合のここだという局面では業を駆使し、なにを考えているのかわからない摩訶不思議なテニスでした。藤野先生、先輩に気を遣いすぎて遅咲きでしたが、繊細可憐、切れのあるテニスでスーパーエースに育ちました。高井先生、スポ根を地でいく、思い込んだら試練の道をタイプのテニスで、いちばん馬が合う後輩でした。僕はというと、体力まかせで、なにも考えずに、ただ回り込んでは逆サイドへという単純明快なテニスをやっていました。入部当初は多根先生のきれいな空手の型のようなテニスに憧れ、僕もいつかはあんなふうに・・・と漠然と考えていましたが、現実はかなりかけ離れたものでした。だれも好きであんなテニスをやっていたわけではありませんが、勝ちたい一心の初心者の意地があのテニスをさせていたのでしょうか。あの教養のテニスコートで最も長い時間を共に過ごしたのは、岩下先生でした。無茶苦茶に足が早く、サウスポーで厄介でしたが、勝負はいつもメンタル面につけ込んで気長に待つことでした。朝早くからネットを張って、日が暮れるまで、正月、盆といわず、数え切れないぐらいの試合をしました。友人からは医学部じゃなくてテニス部に入ったのかと揶揄されました。ダブルスは大の苦手で、いい思い出は皆無ですが、歯に衣着せぬ栗原先生との雑草ペアは、とことん上げたロブとウルトラがしゃボレーで顰蹙を買いながらも最強であったと自負しています。あの暑い炎天下に破れたTシャツを着て黙々とボールを追いかけ、真っ黒な顔をして熱く語っていた遠い昔の思い出はとかく美化されがちですが、専ら足ニスで成らした僕にとって、自分のテニスが6回生では決して通用しないとわかっていながら残ってしまったことが大きな悔いとなっています。今は体型も変わり果てて、あの頃の面影の欠片もありませんが、大阪医大テニス部に在籍した6年間は、疼痛閾値を上昇させ、鈍感で安易に流れやすい僕にとって外圧ストレスをうまく利用することは人生をより楽しくより豊かに生きる処方箋となっています。



先月、悲しい訃報が舞い込んできました。大阪医大テニス部を創部された公文先生がお亡くなりになりました。公文先生といえば、学生時代は、現役部員にとっては雲の上の存在でしたが、幹部交代の挨拶で神戸に行き、高級寿司店に連れて行ってもらったこと、西医体ではフェンス越しにいろいろアドバイス頂いたことなど懐かしく思い出されます。謹んでお悔やみ申し上げます。




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