ヒアリハットに気づけていますか?

ハインリッヒの法則とは、労働災害の事例統計を分析したアメリカの技術者ハインリッヒが発表したもので、「1:29:300の法則」とも呼ばれています。

ハインリッヒの法則
 
この数字は、1件の重大事故の裏には29件の軽い事故があり、さらにその裏には300件のヒヤリとしたりハッとしたりする事故未遂があったことを示したものです。つまり、事故を根本から防止するためには、重大事故の原因究明だけではなく、事故未遂までに着目し、ヒヤリハット自体を減らしていくことが必要というものです。この法則は仕事においても同様であり、例えば医院の場合、1件の重大トラブルの裏には29件の軽度なクレームがあり、さらにその裏には300件の患者さんの不満があると考えられます。実際にクレームを入れる患者さんは不満をもつ患者さん全体の4%程度とされており、潜在的な不満とクレームの結果が重大トラブルとして顕在化したとも考えられます。軽度のクレームについて真剣に対応することで重大なトラブルを防止し、患者さんの不満解消にも繋がり、医療サービスの向上によって患者さんからポジティブな口コミ効果を得ることも期待できます

事故防止対策の行動としての第一歩は、ヒアリハットにまず気づけるようになることから始まります。ヒアリハットとは、 日々ヒヤッとしたり、ハッと思い出したり気づいたりすることを指します。そうした気づきはつまりリスクであるため繰り返さないようにすることが大切です。例えば、「患者さんのカルテを登録しようとした際、年齢がちょっと若いなと思って同姓同名に気がついたけど、そのままチェックインしそうになりました」という情報を共有すれば、同姓同名の患者さんをあらかじめリストアップして置くことで、他のスタッフも事故を起こさないように気をつけようとします。こうした事例の検討を重ねていくことが、事故防止対策として重要なのです。

医療の現場で、訴訟にまではいかなくてもクレームや小さなトラブルみたいなものは時々発生します。そういった事例については、ヒアリハットを書いてもらって、毎月開催しているcake meetingで報告してもらっています。いくら気をつけていてもミスは必ず起こります。人は、ミスは起こすものと前提して、起こしたときの対応を考えることも大切です。

日常診療でのトラブルには、大きく分けて3種類あります。

Ⅰ いいがかり、いわゆるペイシェント・ハラスメントです
Ⅱ こちら側の明らかなミスの場合
Ⅲ どちらとも言い難い場合

 

全くのいいがかりについては、毅然とした態度で臨むことが大事です。いいがかり事案では「誠意を見せろ」が決まり文句です。それでも邪険に扱うとますますこじれる一方なんです。まずは、患者さんの言い分を聞いてあげることが大切です。ただ、患者さんへの対応は決してお一人ではしないでください。言った言わないの話になることもありますし、なんらかの危害が及ぶこともあります。必ず複数対応でお願いします。適宜、録音もとってもOKです。最近は、問い合わせやクレーム対応において「業務改善のため、通話を録音させて頂きます」とのアナウンスを流している業者が増えてきました。録音?って大丈夫なんですか?と言われます。別にここでの患者さんとのやりとりは、著作権のある作品でもなければ、お互い秘密にしているわけでもありませんよね。特にお金目当てのややこしそうな事案の場合は、あえて目の前に録音機を置いて「それでは、今から録音さしてもらいますから」と宣言するのも牽制効果があるかもしれません。さすがに録音機に向かって「こら〜おどりゃ〜」とかは言いにくいですよね。そして十分に説明しても同じ事を繰り返し言う場合は「これ以上説明することはないので、今日はお帰り下さい」とお願いするしかありません(不退去罪)これでもうるさくわめきちらすとなれば、警察を呼ぶしかありません。警察を呼んだから解決するわけではありませんが、自分ではどうしようもない場合は、仲裁役として第三者に入ってもらわないと埒があきません。こういったいいがかりが窓口で続くようなら裁判所で調停や仮処分を出してもらうしかありません。

こちら側に明らかなミスがある場合は、まずはミスを認めて誠実に謝罪しなければなりません。逃げない、かくさない、ごまかさない(上田裕一先生)姿勢が大事です。人は誰でもミスを犯すことがあります。不幸にして最悪の事態を招くことがあっても事故と真っ正面から向き合い、それこそ患者さんのご遺族に誠意を伝えることでしか解決の道はありません。訴訟については、速やかに医師会に報告して専門家にお任せします。賠償については、交通事故に準じて、慰謝料や遺失利益などを支払うことになります。

問題なのは、Ⅲのどちらとも言い難いような事例です。見落としがあったと言われたけれど、これって後付けじゃないの?説明不足って言われたけど、どこまで説明せなあかんの?投与された薬で調子が悪くなったと言われたけどそれって関係あんの?仮に見落としがあったとしてもそれに伴う損害(見落としによって症状が悪化した、その後の治療方法に影響を与えた)がなければ、賠償義務は生じません。また、患者さんは「そんな説明聞いてないで」という話もよくあります。なんでもかんでも説明義務違反になるわけではありません。患者の自己決定権に影響する事項については十分説明し、かつ患者さんの理解と同意を得なければならないとされています。だから、今、病院に入院すると分厚い書類(同意書の束)にやたらサインを強いられますよね。病院の自己防衛のためには、いろいろ説明したというチェックの入れて体裁を整えた同意書は必須なんでしょうが、同意書をとったからOKというわけでもありません。やはり、カルテに詳細に記録しておくことが大切なようです。(実際は、忙しくて書けるわけもないと流されていますが、病院では結構ちゃんと書かされているようです)薬の副作用?については、患者さんに病態に対して薬を投与したことに過失があるか、その結果に因果関係があるかどうかを証明することはかなり難しいお話になります。

どちらが悪い?かよくわからないケースで裁判にまでなる時、患者さんは、なにを怒っているのでしょう?ボタンの掛け違いと表現するされることもありますが、人は「尊重されていない」「バカにされた」と感じたときに激しく反応します。患者さんが、なにかワ〜と言ってきたときに、院長先生は忙しいので話はできませんと冷たく門前払いしないで、とりあえずは、なにわけのわからんことゆうとんねんと思ったとしてもニュートラルに構えて話を聞くことができるかどうかでその後の展開が変わると思います。患者さんは、自分の言いたいことは聞いてもらえたというだけで溜飲が下がったと感じる人も多いと思います。相手の立場に立って「そういったことでいやな思いをされたんですね」と受け止めて、たとえこちら側に明らかな落ち度がなかったとしても、結果として患者さんに不利益を与えてしまったときは、謝ってOKです。よく交通事故などで自分が悪かったとしても謝ったらダメとか言いますが、そんなことはありません。謝ったから責任がある、裁判に負けるってことはありません。別に、見落としたから、説明しなかったから、薬をだしたから謝るわけでなく、「ご期待に添えなくて申し訳ない」と謝罪することは問題ありませんよね。

サイレントクレーマーの怖いところは、なんの前触れもなく、朝、いきなり裁判所から電話がかかって来て、今から証拠保全に行きますってこともあり得ます。カルテの改ざんなんて電子カルテではあり得ませんが、とりあえずは、カルテを押さえにきます。これは裁判所の命令なので拒否はできません。粛々とカルテのコピーをとって持って帰ります。(どうぞどうぞという感じで、コピー代の実費をもらいます)しかし、患者も弁護士さんも医療のことはさっぱりわからないので、協力してくれる医師を捜して、カルテを見てもらって「ものになりますか」って聞くわけですね。しかし、現実的には、協力してくれる医師を捜すのも難しいし、見つかったとしても時間もかかるしお金もかかります。結局は「ちょっと難しいかなあ」って言われてしまうことが多いようで、ほとんどは、そのままフェードアウトしていきます。ただ、10年ほどは訴えられる可能性は残ります。また、患者さんの情報について個々の弁護士から照会書が届く場合もありますが、患者さんの同意を得てから(必ずしも個人情報保護法には抵触しないようですが、患者さんから文句を言われたもめんどくさいので)弁護士会からの照会していただくようお願いしております。(文書作成料を請求します)医療行為は、試行錯誤に連続であって、不確実性を伴います。最善を尽くしたけれども期待通りの結果が得られないこともままあります。争うべき事案では安易に妥協せず、最期まで無責の主張を貫くことも必要かも知れません。